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「TERAKOYA」


 本日、息子が高校受験に挑んでいます。
部活漬けの毎日が終わると今度は受験勉強・・・
何にでも頑張ることは良いことで、そんな姿を見ていると頼もしく思えてきます。


 ただ、以前から思っていたのですが、もうそろそろこういう戦後の国家政策のような教育システムは終わりにした方が良いのではないかと思うのです。
そもそも、この大人数を同じ方向を向かせて同じ教育方法で果たして子供達が自分の能力を発揮し、楽しい人生を送る事が出来る訳が無いと思います。
もちろん、自分が送った学校生活を悔やんでいるわけでもありませんし、学校というものが間違っているとまでは言いません。楽しかったし友達も出来ました。


 しかし、私が自分の好きな事、得意なことに気づきのめり込めたのは大人になってからです。
子供の頃は、いくつかの選択肢を決められ、そのどれに向かっていくのかという事だけしかなかった気がします。
どちらかと言うと私は少々変わっていて、物事を人と違う見方をしたり(今でもそうですが・・・)、興味を持つ事が人と違っていました。
別に今考えればそれがどうしたという話なんですが、当時は「みんなに合わせなきゃ」「同じように出来なきゃ」「みんなと同じでなければ自分がおかしいんだ」・・・と自分を責めていたことを思い出します。
今でもその思考は多少残っているかも知れません。
気がつくと苦手なことばかりが頭に浮かんで、コンプレックスを大量に生産していました。


 今考えるとなんて馬鹿馬鹿しい事なんだと思います。
「みんなと一緒である必要などない」「人と違うということは、それに関しては自分の方が優れているんだ」「そう思えなかったのは”右へならえ”の教育のせいだ」・・・
今ではそう思えます。


 要するに、大人数を社会の常識とやらに合わせさせ、社会にとって、ひと握りの人間にとって都合の良い大人達を作るのが目的になっているのだと思います。
社会(会社)というのは頑張れと言う割には飛び抜ける事を嫌います。
文句を言わず、命令されたことを淡々とまんべんなくこなして、会社に利益だけをもたらす大人が偉い大人ということです。
元々、社会というものは自分達の幸せな生活の為に作られたはずなのに、気づけば社会に踊らされ自分の気持ちなど後回し、我慢すること、苦しむのが立派な大人の証しとされています。
アホらしいですよね。
生まれてきた以上、自分の力を最大限に活かし、精一杯人生を楽しみたいと思います。


 そこで、私が提案したいのは、寺子屋の復活です。


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 何百人の子供達に同じ教育を受けさせるのではなく、先生達が自分の得意な分野の旗を掲げて「うちはこんな事を中心に勉強します!いずれはそのスペシャリストを育成します!」
と、独自の寺子屋を個人で作るのです。
その先生達には学校教育と同じように給与を支給し、必要なものは行政が補助する。
そうすれば、子供達も自分の好きなことに特化した教育が小さい頃から受けられる。
結果、大人になった時自分の好きな事で生活をし、社会貢献ができると思います。


 そして先生達も自分の寺子屋を維持し発展させていく為に必死で頑張り、それが子供の為にもなるはずです。
先生は責任というものを背負う代わりに、合わない同僚とぶつかる必要もなくなり、自分についてくる気のある子だけを自分式で教える事が出来る訳です。


 これは私の戯言です。
正しいかどうかもわかりません。
ただ、全て学校のせいと言うつもりもありませんが、小さい頃から自分をもっと出せていたら人生もっと楽しめたのかなと思ってしまうのです。

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