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「リフレッシュ」


 昨日、一泊二日で山梨の石和温泉で骨休めしてきました。
石和温泉は昔ながらの温泉街で昭和感たっぷりですが、この年代にはそれが落ち着くのかも知れません。
過剰なサービスは要らない、最新のレクリエーションも要らない、とにかく落ち着きたい。
そんなこの頃です。


 このホテル、食事のバイキングがとても良かった。
創作料理のような凝った料理がテーブルを埋め尽くしていました。
刺身もその場で切り分けて盛り付けてくれますし、天ぷらもその場で揚げてくれます。
写真はごく一部で、沢山の料理が所狭しと並んでいた訳ですが、これを見て思うのです。
企業努力ってやつか・・・
ホテルの厨房なんてただでさえ大変なはずなのに、この見た目の為にかなりの余分な作業が増えることは間違いない訳です。
これを毎日メニューを変え、細工を施すというのはかなりの努力を感じます。
こちらはただのお客なのでそんな事考える必要ないのですが、そんな事すら楽しめた気がします。

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そして、温泉に浸かりながら色々な思考が頭の中に浮かんでは消えするのですが、ふと気がつきました。
以前の自分だったらこんな時でも嫌なことを回想したりしてため息混じりに風呂から上がっていたと思います。
でも、ここ数年の間にマインドセットする事を覚えたり、プラス思考を学んだりして、頭の中にマイナス思考があまり浮かばなくなりました。
ただ、ボーーーっとする事の重要性も覚えました。
キャンプなど行くと、いつの間にか焚き火の炎を見ながら無思考状態になっていたりします。
最近それがとても良い事だとつくづく感じています。
とにかくストレスになる事に意識を向けない事が体的にも精神的にも大切なのだと。
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 温泉に行っても普段の嫌な事を思い返したり、これからの不安要素を掘り起こすのは非常にもったいない。
よくありがちなのは、温泉に限らず遊びに行って「ストレス解消できたーー!」「明日からまた頑張らないと・・・」「あ~~。。明日はあれやらなきゃ~」
と、余計なことを考えてしまうパターン。


  最近はこの悪い癖が抜けてきたようで、昨日までの嫌な事や、帰ってからの不安を考える事には何の意味もないということに気づきました。
嫌なことに無関心になる事が最強だと。
「鈍感力」なんて言葉が一時期ハヤりましたが、まさにそういう事だと思います。
一人で居る時くらい自分の心地いい時間にするべきですよね。

「人に腹が立つとき②」



 どれだけ腹が立つかは「比較」でしかない。
例えば、ちょっと表現は悪いですが、自分にとっての有害レベルを10段階で判断するとしましょう。
極端な話、自分にとって有害レベルMAXの10は危害を加えてくる程の人でしょう。
レベル1、または0とする人はいつでも優しくて何でも言うことを聞いてくれて本気で心配してくれる人。
となると、レベル5が普通ということになります。
良いときもあれば嫌なときもある人というところでしょうか。


 今現在、職場や近所でとても嫌な人がいて「本当に腹が立つ!」という方は星の数ほどいらっしゃるでしょう。
で、その嫌な人を先ほどのレベルで表現するなら、まさか10は滅多にないでしょう。
どんなに高くてもレベル8位ではないでしょうか。( もし10なら今すぐ警察に通報することをお勧めします
 m(_ _)m )
とすると、あなたの怒りマックスの矛先は今現在レベル8に対してという事になります。

 なぜそのレベル8の人に怒りを覚えるのでしょう。
それは、他の人達がレベル7以下の人達だからです。
では、もし仮に何らかでその8の人がいなくなったとしたら、自分の中の怒りはキレイさっぱり無くなるでしょうか。
おそらく今度はレベル7の人に向けられるのではないでしょうか。
もちろん8の人ほどの怒りではないかも知れませんが。
7の人がいなくなったら、怒りまではないかも知れませんが、6の人の事が少し煙たくなってくると思います。


 極端な例を出すと、仮にほとんどの人がレベル1の良い人ばかりで、一人だけ普通レベル5の人が一人だけいたとします。
すると、「レベル5の奴、俺に対して優しさが足りないよな。なんか冷たい!」と成りかねません。
本来普通の人なのにです。


 今度は大勢の1の中に一人の5と一人の9の人が現れたらどうでしょう。
それはそれは怒りを通り越えて恐怖すら感じるかも知れません。
しかし、5の人への怒りと9の人への恐怖が同レベルで襲って来るでしょうか?
おそらく、9の人への恐怖でいっぱいになり、5の事など気にならなくなるのではないでしょうか。
「9の恐怖に比べたら5なんかどうでもいい!とにかく9をなんとかせねば!9さえいなければ・・・」となると思います。



 そんな感じで、人に対する怒りというのは常時比較することによって生まれてくるものだと思います。
もし、レベル10の人達に囲まれていたら、たった一人のレベル5の人なんか物凄く良い人に感じるでしょう。
なので、ある意味自分の心持ち次第である程度制御出来るかも知れません。
理由はどうあれ、出来る限り怒りは無い方が幸せですからね。


 繰り返しになりますが、だからって「全て気にしない」なんて言いません。
レベル5や6以上の人は必ずしも悪だとは言いませんが、やはり気にするべきところはちゃんと気にするべきで、それに気づかないのなら周りにそういう目で見られることも必要だと思います。
また、それは人ばかりでなく自分も同じく気にすることを忘れてはいけないと思います。
無意識に誰かのレベル7位になっているかも知れませんから。
「自分は大丈夫!」と思う人は一番危ないかも知れません。
自分が正しいとは思わない事が大前提ですね。
立場や目線が変われば見え方もガラリと変わる。


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 人には喜怒哀楽が備わっている訳で、それを出すことによってストレスを回避したり自分を守ったりするものですから、「これは客観的に考えても酷い!」ということはある程度表現してしまって良いと思います。
その方がお互いの為です。
でも、こうやってリアルタイムに冷静に分析出来るようになると、何より自分にとって無駄な神経を使わなくて済むような気がします。

健康の為にも極力怒りから遠い生活を目指したいと思います。

「人に腹が立つとき①」



 毎日同じ環境で仕事をしていたりするとどうしてもイライラしたり腹が立つことがあります。
「なんでそんな事が言えるんだろう」「コイツさえいなければ平和なのに」
と特に特定の人間に腹が立ったりする訳です・・・
そしてその内、「自分は何て気が短いんだ」「実は自分の方が性格悪いんじゃないか?」
と、深みにはまってしまったりして・・・
で、気づくと何だか腹を立てている相手は何事もないように飄々としていて、被害者であると思っていた自分の方がイライラして嫌な奴になっている・・・
自己嫌悪・・・

 でも、その根源は「トラブルを起こしたくない」「腹を立てたくない」
という平和を臨む気持ちから来るものではないでしょうか。
自分は誰とも仲良くやっていきたいのにそれを蹴散らすように失礼な態度や行動を起こしてくる。
そんな相手に対して「なぜ平和に出来ないんだ!なぜ乱すんだ!」と、腹が立ってしまう。
この時点で、”自分は善相手が悪”になるので怒りが倍増してくる。


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 でも、ある時気づきました。
もちろん間違っていると思われても仕方ない人もいるのは事実ですが、どれだけ腹が立つかどうかは全て自分の中での「比較」でしかないんだと。
そこに心から気づくと、少し楽になります。



 と言っても、「考え方を変えて人を理解して寛大になりましょう」なんて綺麗事を言うつもりは更々ありません。
そんなの人間である以上無理ですから。
また、そう思われる人にも思われる役割というかカルマのようなものがあるんだと思います。
だから、擁護するつもりもないですし、やっぱり仲良くなれるタイプに変わって欲しい。
・・・なんてのはこちらの自分勝手。その人も仲良い人もいるかも知れませんし、逆にこちらの事をそう見てるかも知れない。
考えるだけ無駄ってところですが、なかなかそう割り切れない時もあります。



 とは言え、深みにはまって気づいたら自分だけが苦しんでいたなんて馬鹿らしいことは避けたいところです。
なので、この「比較」という事に気づくとムカっとした気持ちが少し楽になります。

 続きは次回②で。

「人は何の為に働くんだろう」②

 その昔、日本人も狩猟民族でした。(おそらく)
それから稲作を始め、畑を作り食の幅を広げ生き延びました。
食べる為に試行錯誤し、手にした食料を見て心底喜んだでしょう。


 と、これが”生きる為に働く”だと思います。


 時が過ぎ、文化というものが出来、娯楽というものが出来、食も生きる為だけではなく嗜好品という側面を持つ様になりました。戦争が始まり国民が疲弊するまでこの進化は続きました。
その頃は、”生きる為”ではなく、”いかに良い生活を送るか”が働く理由だったのではないでしょうか。
もちろん働かなければ生きることは出来ませんが、生きる為だけなら毎日みっちり働く必要はないと思います。


 そして戦争を体験し、ボロボロになった人々は”生きる為に働く”に逆戻りしました。
そこからご先祖様や両親達は命を削って”生きる為に働く”日本から”いかに良い生活を送るか”の日本へと変えてくれました。


 今現在でも「いや!自分は生きる為だけに働くだけで精一杯!毎日苦しいんだ!」と言う人もいるでしょう。
でもそれは生きる(食べる)だけではなく、「少しでも良い家に住みたい」、「少しでも美味しいものを食べたい」、「子供には恥ずかしい思いをさせたくない」、「たまには遊びに行きたい」、「本当は車が欲しい」、「恥ずかしくない服が着たい」・・・
頑張って働いてる割にそれが思うようにいかない、割が合わない、と、人と比べて不公平さを感じているのではないでしょうか。
特別な事情がない限り”生きる”事にはそう困らない時代だと思います。
そんな時代にして貰った事に感謝するべきかも知れません。


 しかし、逆に言うと”生きる為”だけではダメな時代なのかも知れません。
”より良い生活”、”楽しい生活”の為に働いているのが現代人じゃないでしょうか。
なのに、多くの人が「生きるのは大変だ」「大人になれば分かる」「人生は修行だ」と不満ばかり口にします。


 以前の私もそうでしたが、苦しむ事が大人であり、偉い事だと思いがちです。
それを子供に伝え、耐えられる大人に教育するのが義務だと思っていたかも知れません。
でも、それはうまくいかない事への言い訳でした。
外部からの妨害が無い限り、全ては自分の選択であり、自分の責任です。
無駄に苦しんでいるのは、やり方が間違っているから。
間違っているなら正しい方向に頑張ればいい。
うまくいかなくても諦めずに頑張ればいい。
良い方向に頑張っているのだから良い未来が待っているかも知れない。
だから大変でも苦しむ必要はない。
希望があるから。
違うと思ったらまた修正すればいい。


 気が変わったら次々仕事を変えるということではなく、もっと広い視点で物事を見て、絶対違うと思ったらさっさと見切りをつけるべきということです。
希望もないのに動かず苦労を続けるのは偉くもなんともないと思います。
そして、「逃げてはいけない」という日本人独特(?)の美徳は間違いだと今は思います。
絶対勝てない、戦うべき相手ではないと思ったら、とっとと逃げればいい。
うさぎがライオンに飛びかかったってやられるだけですから。
だったら、さっさと逃げて次の事を考えればいい。
幸せであろう方向へ向かって。


 長々と書いてしまいましたが、これが私の考える働く意味です。
何が正解と言うのも無いでしょうし、人によって表現も違ってくると思いますが、結局のところ皆知らず知らずに楽しい人生に向かって必死なんだと思います。
そして、自分への言い訳に必死なんだと思います。
だから、まずは全部認めてしまう事が重要です。
あとは、世間体だとか、他人の目だとか、そんなつまらない事は気にする価値もなく、自分や家族や大切な人の為に上手に立ち回る事が大切なんだろうと思う次第です。


 そんな事を考える事自体が楽しい今日この頃です。
 
                           m(_)m

「人は何の為に働くんだろう」①

 「自分は何の為に働いているんだろう・・・」と思ったこと、誰でもあるんじゃないでしょうか。
特に現在の仕事に不満があるほどそう思うのだと思います。
私自身そんなことばかり考え、今、人生の軌道修正をしようともがいているところです。


 人間関係が面倒、仕事にやりがいを感じない、給料が不満・・・
辞めれるものなら今日辞めたい・・・
そんな気持ちになる人も少なくないのではないでしょうか。


「まあ、仕事なんてそんなもんでしょ」「みんなそうやって生きてるんだよ」
「それが大人だよ」
そんな声が聞こえてきそうですが、
私はこの歳になって「人間はそんなに諦めて生きていかなきゃいけないのかな~・・・」
「そんな情けないこと子供に教える事が正しいのか?」
と思うようになりました。


 時には嫌なことがあるのは当たり前の事ですが、毎日苦痛に思うならそれも我慢する必要あるか?と思うのです。
だって、毎日ストレスなら落ち込むし、ミスも増えるし、人に当たるかも知れませんし、家族にだって良い顔出来なくなるし、最悪体を壊します。
そこまでして誰が喜ぶんだろう、誰が褒めてくれるんだろうと思います。
何より、自分が後悔すると思います。


 私にも正解なんて分かりませんが、次は私の考えを綴っていこうと思います。